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山家宿大庄屋役宅跡(市史跡)[山家]

記事ID:0007185 更新日:2021年8月4日更新 印刷ページ表示

 大庄屋とは、江戸時代に触(ふれ)(20ヶ村前後の村々から構成される行政区画)を治めた長のことです。文化(ぶんか)九(1812)年ごろの御笠(みかさ)郡内57ヶ村は、山家・山口・下大利(しもおおり)の3触に分かれていました。役宅とは、役所と自宅を兼ねた家屋のことをいいます。

 当指定地は、山家宿(村)の大庄屋を務めた近藤家の役宅跡です。家伝によれば、近藤家は最初、上町(かんまち)に居住していましたが、4代弥九郎の代に大庄屋となり、寛保(かんぽう)二(1742)年に当地に役宅を新築し移住したとされています。

 明治4(1871)年、郵便取扱所が中茶屋(なかんちゃや)に設けられましたが、その後、山家郵便局は、明治22(1889)年4月から昭和5(1930)年12月までの41年間、この旧大庄屋役宅入口の長屋門(ながやもん)内に置かれていました。また、現存しない東構口は、長屋門東側の恵比須石神の場所にあったといわれており、「町口」という字が残っています。その長屋門は老朽化のため、学術調査のあと平成3(1991)年に解体されました。

『筑紫野の指定文化財』より

山家宿大庄屋役宅跡の画像
​山家宿大庄屋役宅跡

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