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米作りを始めたのは誰だ!(前畑遺跡[若江])
筑紫野市は水田や畑が多く、福岡都市圏でも自然環境が豊かなことで知られています。では、そんな筑紫野市で最初に米作りを始めたのは誰でしょうか?
前畑遺跡は、筑紫駅西口土地区画整理事業に伴い発掘調査された遺跡のひとつです。写真では小さく見えますが、直径1メートル以上の穴が80個以上確認されました。最も深いもので深さは2メートル以上あります。これらの穴の大半は弥生時代の貯蔵穴で、その使い道は食料などを保管した穴倉と考えられています。日本で米作りが始まったとされる弥生時代のはじめ頃にはポピュラーな存在でしたが、やがて高床式倉庫が現れると作られなくなりました。
これらの穴に埋まっていた土器は、縄文時代が終わり弥生時代が始まったころの特徴を持っています。前畑遺跡は弥生時代の始まりごろのムラ、つまり米作りを始めたころの人たちのムラということができます。そして、現在のところ市内で見つかっている一番古い弥生時代の遺跡であることから、(今のところ)筑紫野市民として米作りで生計を立てた最初のムラということができます。顔も名前もわかりませんが、市内で最初に米作りを始めたのは(今のところ)「彼らだ!」ということになります。
前畑遺跡第2次発掘調査現場全景
貯蔵穴