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九州の近代化を担った九州鉄道の遺構[二日市中央・永岡]
明治22(1889)年12月11日、博多-千(ち)歳川(とせがわ)仮停車場(筑後川北岸。現.鳥栖市)間で九州初の鉄道路線が開通しました。ドイツ製の蒸気機関車が車両をけん引するもので、当時の時刻表から上り下り各3便で運行を開始したことがわかります。
この鉄道を開通させたのは、明治20(1887)年設立の九州鉄道株式会社でした。九州鉄道は、ドイツ人技師へルマン・ルムシュッテルを技術顧問として招聘し、博多-久留米間に鉄道を敷設しています。「二日市駅」、国登録有形文化財「旧九州鉄道城山三連橋梁」もそのときに建設されました。
当初は、太宰府を通り筑紫野市阿志岐から夜須、小郡へと抜ける路線を計画していたようですが、「汽車に乗って日帰りされたら天満宮参道の旅館がつぶれる」、「お宮の梅が煤煙で枯れる」などの反対があり、太宰府への鉄道誘致案がなくなったと伝えられています。こういった話は全国的にあるようですが、鉄道は直進指向が強く、地勢からみて二日市を通るのは必然性が高かったものと推測されます。二日市の谷彦一(たにひこいち)ら有志が二日市駅の設置に尽力したことはいうまでもありませんが、近代の鉄道敷設が現代の都市設計の基礎となっている点を忘れてはならないでしょう。
現在、JR二日市駅のプラットホームの一部には、開業当時のものと考えられるレンガ積みや明治44(1911)年に改築された跨線橋の一部が残されています。
国登録有形文化財「旧九州鉄道城山三連橋梁」
JR二日市駅に残るレンガ積みのプラットホーム
レンガの様子