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蘆城駅家推定地 御笠地区遺跡の大型建物跡[吉木]

記事ID:0002023 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示

 阿志岐山城跡の直下には、昭和52(1977)~53(1978)年に、ほ場整備事業に伴って調査された御笠地区遺跡A地点があります。筑紫野市の古代遺跡として著名で、大型建物跡(約7.5メートル×10.0メートルの規模)が発見されています。蘆城駅家の一部である可能性が指摘され、注目されてきました。

 蘆城駅家は、大宰府の北東、米ノ山(こめのやま)峠を越えて豊前国を目指す豊前道(田河(たがわ)道)の、大宰府側最初の駅家です。後世の『延喜式(えんぎしき)』には記載がなく、『万葉集』に収められた神亀(じんき)・天平(てんぴょう)年間の9首の歌だけに見えることから、平安時代前期には廃止されていたものと考えられます。これは、出土した遺物の年代観とも一致しており、興味をひかれます。

 蘆城駅家の中枢施設の所在については慎重に考察すべきですが、御笠地区の古代遺跡を総合的に研究し、評価する必要があることはいうまでもないでしょう。

御笠地区遺跡A地点の画像
御笠地区遺跡A地点

大型建物跡の柱穴の画像
大型建物跡の柱穴

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