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二日市八幡宮神木の公孫樹(市天然記念物)[二日市中央]
二日市は、古代から大宰府(だざいふ)政庁の市町(いちまち)として栄え、江戸時代には日田街道の宿場町として繁栄しました。正徳(しょうとく)(1714)年の『二日市宿庄屋覚書(しょうやおぼえがき)』によると、二日市八幡宮の神木である公孫樹(銀杏樹)には、次のような話が伝えられています。
天正(てんしょう)14(1586)年、島津の軍勢は岩屋城主・高橋紹運(じょううん)を討ち滅ぼし、帰りに八幡宮の銀杏樹を伐り倒そうとした。そこへ老婆が駆けつけ「これは当所の氏神(うじがみ)八幡宮の神木なり。たちまち御罰を蒙(こうむ)るべし」と木に抱きつき「この木を伐(き)り申さば先(ま)ずこの姥(うば)を伐り、それよりこの木を伐り候(そうら)え」と言ったので、「木伐りの輩(やから)、それに恐れたるか斧を捨てそのまま立ち去り候由(よし)」。「銀杏樹半分ほど伐り込み候。今に伐り跡あり」
この公孫樹は、戦国時代の二日市の歴史を伝える樹木として貴重であることから、天然記念物に指定されました。
『筑紫野の指定文化財』より
秋が深まり色づく二日市八幡宮の公孫樹