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山家宿郡屋跡(市史跡)[山家]

記事ID:0002018 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示

 郡屋とは、郡内の村役人の集会所で、筑前六宿(むしゅく)をはじめ主要な宿場に置かれていました。御笠(みかさ)郡(現在の筑紫野市・太宰府市・大野城市を合わせた範囲)では、山家・原田(はるだ)・二日市に置かれていましたが、現在残っているのは山家だけです。

 山家宿の郡屋については、文久(ぶんきゅう)2(1862)年の指図(さしず)があり、建物の広さや位置関係がよくわかります。それを見ると、門を入って左に郡屋守(もり)の屋敷と宝蔵があり、その先が郡屋で敷地の中央に位置しています。郡屋の右には稲家(いなや)と穀蔵、その奥に牛馬小屋があって裏門につづいています。裏門の並びには灰屋(はいや)(堆肥(たいひ)を置くところ)・材木小屋・薪(たきぎ)小屋があり、一番奥に土蔵があります。

 郡屋は入口の先が土間になっており、土間を囲むように8畳・6畳・8畳・16畳・8畳・12畳の6部屋が設けられていました。参勤交代に係わる打合せや藩からの重要な伝達があったときには、ここに郡(こおり)奉行・代官・下代(げだい)・大庄屋・庄屋・組頭(くみがしら)などが集まって会議を開きました。

 今では郡屋本体と宝蔵は残っていませんが、そのほかの建物はおおむね保存されており、往時を偲ぶことができます。

『筑紫野の指定文化財』より

郡屋跡(正面は郡屋守の住居)
右の平地が郡屋跡(正面は郡屋守の住居)

郡屋指図の画像
郡屋指図

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