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基肄(椽)城跡(国特別史跡)[山口・原田・萩原]
朝鮮半島での白村江の敗戦の後に、唐・新羅(しらぎ)の侵攻に備え、大野城や水城(みずき)とあわせて天智(てんじ)4(665)年に大宰府(だざいふ)防衛のために築かれたとされる朝鮮式山城です。その経緯は『日本書記』などの官選史書に書き残されています。
筑紫野市と佐賀県三養基郡(みやきぐん)基山町(きやまちょう)にまたがっており、北帝門や東北門などの門跡、水門跡、40棟あまりの倉庫と考えられる建物跡がみつかっています。筑紫野市は基肄城の北側が入り、東北門、北帝門、土塁線を見ることができます。
基肄城跡(南から)
基肄城東北門跡