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「寛文九年十二月平石坊権大僧□和尚銘 瓦質祠」が市有形文化財に指定されました

記事ID:0001981 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示

 「寛文九年十二月平石坊権大僧□和尚銘 瓦質祠」は、柚須原観音堂(ゆすばるかんのんどう)で平成26年に発見されました。この祠に彫られている文字がもつ情報は、宝満山の復興の歴史を語る上で重要な意味を持っています。

 「平石坊」とは、宝満山(ほうまんざん)中につくられた僧侶の住居、「坊」のひとつで、「権大僧□和尚」は、宝満山二十五坊の衆(しゅう)頭(ず)(山伏衆のリーダー)を務めた平石坊弘有(こうゆう)に該当すると考えられます。それは、寛文9(1669)年の時期が、弘有が衆頭であった万治(まんじ)元(1658)年から元禄(げんろく)元(1688)年までの間に一致することからわかります。

 弘有は、室町期の戦乱によって衰退した宝満山の復興に尽力し、経典や仏具の寄進、講堂の再建、祭事の再興など数々の事業を実現した、宝満修験道(しゅげんどう)の歴史を語る上で欠かせない人物です。この祠の存在から平石坊弘有が行った復興の一端を垣間見ることができるのです。この資料的な価値から平成29年に市の有形文化財に指定されました。

※ 指定名称の読み方については複数あり、ひとつに定まっていません。

※ 「□」は欠けて文字が読めない部分です。

瓦質祠の画像
​瓦質祠

祠の復元想定図の画像
祠の復元想定図

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