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山家宿下代跡地(市史跡)[山家]

記事ID:0001891 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示

 下代とは、代官のもとで諸事務にあたった宿場役人のことです。その主な任務は、次のようなものでした。

  1. 諸大名や幕府役人が休憩宿泊する場合、人馬継所(馬や人足を提供する施設。問屋場(といやば)ともいう)に1名が出張し、宿内の監督取締を行うこと。
  2. 予備の人馬について1名が指図監督にあたること。
  3. 長崎奉行・日田郡代が宿泊する場合、2名が御進物の運搬について指揮監督にあたること。
  4. 長崎町年寄・漂着した異国人の付添役人には、代官の代理として挨拶に出ること。
  5. 御状箱・御用物が町茶屋に宿泊する場合、不寝番に立つ庄屋・組頭の監督にあたること。
  6. 唐銀・公納銀が宿泊する場合、宿役人とともに不寝番に立つこと。

 山家宿の下代屋敷は、西構口の横から御茶屋と代官所の間まで4軒が並んでいました。指定地は、そのうちの高嶋家の下代屋敷跡地です。高嶋家は、代々原田宿の下代を勤めていましたが、明治3(1870)年、山家宿下代として転勤し、同5(1872)年まで勤めました。転勤の際、それまで使用していた家屋を原田宿から移築したと伝えられています。その家屋は屋根の腐食が著しかったため、平成6(1994)年、学術調査のあと解体されました。

『筑紫野の指定文化財』より

往年の山家宿下代跡地
往年の山家宿下代跡地(高嶋家)

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