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杉塚廃寺跡(市史跡)[杉塚]
杉塚廃寺は、大宰府(だざいふ)条坊推定域右郭(うかく)19条10坊から11坊に位置しています(鏡山猛条坊案)。昭和48年(1973年)、昭和54年(1979年)の2度の発掘調査で、金堂(こんどう)か講堂と考えられる基壇(きだん)や礎石とともに、老司(ろうじ)系丸瓦・平瓦や頁岩(けつがん)質の石帯(せきたい)(ベルトに付ける石製の装飾品)などが出土し、8世紀代の寺院であることがわかりました。大宰府政庁から鬼門(きもん)(北東)の方角にある竈門山(かまどやま)に対し、裏鬼門(西南)を鎮護するための寺院と考えられています。当時、寺の東側を水城(みずき)西門を通って朱雀大路(すざくおおじ)に合流する官道が通っていたことが明らかにされています。
杉塚廃寺は、外国の使節が博多から大宰府に至るとき、大宰府条坊域内で最初に目にする大規模な建築物であったと思われます。
『筑紫野の指定文化財』より
整備後の基壇(遠景)