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岡田地区遺跡の西海道(古代官道)[岡田]
それは平成6(1994)年の秋のことでした。
『う~ん、何か変だな、、、。これは普通の溝じゃないぞ、、、。』
内心まさかとは思っていましたが、2本の溝が9メートルの幅で並走していたのです。
『ひょっとしたらこれは官道(の側溝)じゃないだろうか?』
はやる心とはうらはらに、パワーショベルがゆっくりとした動きで表土をはぎ取っていきました。溝と溝の間で「バリバリッ!」パワーショベルのバケットが鈍い音をたてました。昔の道路(官道)を舗装したときの固い層がみつかったのです。
『よしっ!間違いないぞ!』
「ザクッ!ザクッ!」作業員さんのスコップを振るう音で、官道の調査が始まりました。そして1ヶ月の後、総延長360メートルにわたる堂々とした古代の官道が姿を現したのです。
大(だ)宰(ざい)府(ふ)から放射状に走っている官道は総称して「西海道」と呼ばれています。岡田地区で発見された西海道は豊後国(大分県)へ向かう道と考えられていますが、これが発掘調査で見つかったのは初めてのことでした。
(参考「岡田地区遺跡を掘る 古代官道と岡田の関」展 展示図録)
官道とは?
官道とは、軍隊の移動をはじめとして、通信や急使の往来に利用するために作られた、古代の広域幹線道路のことです。
古墳時代以前の自然発生的な道を基本にしたものではなく、律(りつ)令(りょう)政府によって計画的に設けられたもので、直線を重視した設計になっています。