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山家宿西構口並びに土塀(県指定史跡)[山家]
構口とは、宿場の出入口に設けられた門塀のことです。江戸に近い方を「東構口」、反対側を「西構口」といいました。その構造は、宿場の内側に向かってL字型に曲げた石組基礎の上部に土塀を築き、漆喰(しっくい)で白壁として、その上に瓦を葺いたものです。
初めて筑前を旅した吉田松陰の目には珍しく映ったとみえ、「道(どう)中(ちゅう)ノ諸駅(しょえき)ヲ歴観スルニ、駅ノ前後ニ於(おい)テ左(さ)右(ゆう)袖(そで)ノ如ク石垣ヲ築(きず)キ、女墻(ひめがき)ヲ附(つけ)ル者多シ、亦事(またこと)アルノ時(とき)、里(り)門(もん)ヲ作ルガ為(ため)ニ便(べん)スルカ」と『西遊日記』に書いています。
筑前国内には27の宿場が置かれていましたが、そのうち現在まで構口の痕跡が残っているのは、青柳(あおやぎ)宿・木屋(こや)瀬(のせ)宿・山家宿の3ヶ所です。特に山家宿の西構口は、道の両側とも石垣の上に土塀、瓦を葺いたままの姿を伝えている点で貴重です。
昭和5(1930)年、福岡県が山家宿西構口の前に標示板を建てましたが、それには「今構口の遺(い)蹟(せき)の甚(はなはだ)稀(まれ)なり」と記されており、当時としてもすでに珍しいものであったことがわかります。
東構口は今は残っていませんが、山家村の大庄屋を務めた近藤家の長(なが)屋(や)門(もん)横にあったといわれています。
『筑紫野の指定文化財』より
北側土塀(西から)