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城山道と立明寺地区遺跡の古代官道[立明寺]
「城山道」と呼ばれる古代道は、大宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人(おおとものたびと)が任を終えて都へ帰った後に、筑後守(ちくごのかみ)葛井連大成(ふじいのむらじおおなり)が悲しみを詠んだ歌にのみ残されています。
今よりは 城の山道は寂しけむ 我が通はむと 思ひしものを(万葉集巻4-576)
そのルートはほとんど解明されていませんが、基肄城(きいじょう)の東麓を抜けて大宰府(だざいふ)と筑後国を結び、基肄駅家(うまや)を経由する直線道が推定されています。
平成20(2008)年6月から8月にかけて発掘調査した立明寺地区遺跡C地点で、奈良時代(約1,200年前)の古代官道と考えられる遺構が見つかりました。これは今日まで推定されていなかった未知の官道で、城山道につながる可能性があります。
遺跡周辺遠景(北から)
立明寺地区遺跡C地点の古代道(北から)