ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

宝満山峰入り同行記

記事ID:0001800 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示

 大宰府政庁の北東にある竈門山(かまどやま)(現.宝満山)山頂に八百万神(やおよろずのかみ)が祀られてから1350年を記念する《峰入り》が、平成25(2013)年4月25日(木曜日)から28日(日曜日)にかけて行われました。

 修験道(しゅげんどう)は日本に古くからある山の信仰に、神道(しんとう)や外来の密教・道教などが影響して成立したものです。苛酷な修行を伴いますが、中でも峰から峰へと渡り歩く峰入りは 徒(と)そう行(ぎょう) といわれ、最も重視されています。しかし、 秘行(ひぎょう) とされ史料が少ないことから、実態がはっきりしていませんでした。

 今回行われた峰入りは、筑前宝満山修験会 が2年間の踏査をへて、宝満山(筑紫野市・太宰府市)から英彦山(ひこさん)奉幣殿(ほうへいでん)(田川郡添田町)に至る秋峰(あきみね)(大峰(おおみね))の往路(直線で約75キロメートル)をおよそ150年ぶりにたどったものです。

 私たちは、この峰入りに同行し、そのルートや行(ぎょう)場と推定される位置をGPSにより記録することにしました。時には険しい道、道なき道を歩みながらの調査は困難を極めましたが、無事に英彦山奉幣殿に到着し、採灯大護摩供(さいとうだいごまく)をもって峰入りも大団円を迎えました。

 峰入りの厳しさとそれに耐え抜く修験者の姿は、かつての歴史映像が再現されたかのようで印象的であり、法螺(ほら)貝の重厚な音は今でも耳に残っています。さらに、小石原(東峰村)を境にした宝満山と英彦山の信仰領域の対照性を、山容が変化していく様を目の当たりにすることで体感できました。

 今回、得られた基礎データをもとに調査研究を進めていくことで、明治時代に断絶してしまった宝満山の修験道の歴史的実態を明らかにすることができるかもしれません。

護摩炊きの様子
日の出とともに屏山(へいざん)(嘉麻市・朝倉市)山頂にて護摩を焚く

糸ヶ峰を歩む修験者の様子
明け方の糸ヶ峰(東峰村)を歩む修験者

皆さまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が充分掲載されていましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現はわかりやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?