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学校給食共同調理場の沿革

記事ID:0002184 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示

1.当初は単独調理方式で実施

 昭和22年(1947年)から山口小学校などで脱脂粉乳給食が開始され、翌23年には米国から提供された缶詰や児童が持ってきた物資で給食を行い、さらに、同25年からは主食だけを持ってくる副食給食が実施された。
 現在、実施している週5日の完全給食は、昭和29年(1954年)9月から筑紫小学校で開始され、翌30年山家小学校、山口小学校で、翌31年に平等寺小学校で、翌32年に吉木小学校、阿志岐小学校、竜岩小学校で、昭和35年に二日市小学校、二日市東小学校で実施され、市内全小学校の足並みが揃った。
 中学校では、昭和39年(1964年)4月から週5日の牛乳給食が市内全校で開始された。

2.現在は共同調理場方式で実施

 学校給食は、単独調理方式で行っていたが、各小学校校舎が老朽化し改築を迫られ、また、各中学校においては、調理施設の新設が必要であった。
 そこで、昭和46年(1971年)1月に合理的効率的に運営が図られる共同調理場として、大字二日市760番地の1 (現在の二日市西一丁目)に鉄骨一階建、建築面積502平方メートル、最大調理能力6,000食の施設を新築し、同年9月から小学校児童に、同年11月から中学校全校生徒に完全給食を開始した。
 また、昭和50年(1975年)11月から56年(1981年)3月まで、筑紫小学校は一時的に単独調理に切り替えた。
 その後,発展とともに児童生徒もが増加していった。
 このような状況下で調理施設の増築が必要になり、昭和56年(1981年)7月、大字永岡に鉄骨二階建、建築面積2,393平方メートルを新設し、同年9月から市内全小中学校児童生徒に完全給食を開始した。
 また、昭和58年(1983年)8月に衛生的に運搬する必要からコンテナ室、平成7年(1995年)8月に洗浄室を増築し、建築総面積2,673 平方メートルとなる。
 さらに、衛生管理の観点からウェット方式施設でのドライ運用を目指して、平成12年(2000年)から13年度にかけて施設設備の改修や職員の研修に努めてきている。
 平成26年(2014年)度において調理部分の大規模改修を行い、耐震化・空調設備の導入および調理場内のドライ仕様・スチームジェットオーブンの導入や各部分の部屋の分離など衛生管理基準に則って調理が行えることとなった。
 現在、市内小中学校児童生徒に完全給食を実施し、調理数約9,700食を供給している。

3.米飯給食について

 筑紫野市では、昭和49年(1974年)から小中学校全児童生徒に月1回、昭和60年(1985年)2月から週当たり2.5回、平成10年(1998年)4月から週3回、平成17年(2005年)からは週当たり3.5回、平成27年(2015年)からは週4回の米飯給食を実施している。

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