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歌碑・句碑を歩く(2)

記事ID:0002669 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示

万葉の昔から、この筑紫は、政治と文化の要所として栄えた。
今もいたるところに「史蹟」があり、名残りをとどめている。
天平の歌壇を彩った大伴旅人、山上憶良らが、大宰府の役人として西下、この地を数多く歌いあげた。
また旅にロマンを求めた人々が、二日市温泉に遊び、ひと時の歓楽を詠んだところである。
和歌に俳句に心が息づいている。

温泉の街 万葉といで湯の郷

菅原 道真(すがわらの みちざね)

菅原道真

つくしにも 紫生ふる 野辺はあれど
なき名悲しむ 人ぞ消えぬ

【訳】
都にも紫草があるように筑紫にも紫草が生えていて、ここに紫(ゆかり)の者は居るが世間から名前を忘れられても悲しむ人は聞こえていない。
【作者】
菅原道真
【建設地】
筑紫野市紫、「西鉄紫駅」前

菅原道真

離家三四月 落涙百千行
万事皆如夢 時々仰彼蒼

【訳】
故郷を離れて数ヶ月。とめどもなく涙が頬をつたう。全ては夢と思うほかなく、今は天を仰いで我が身の運命を訴えるだけだ。
【作者】
菅原道真
「菅家後集」の冒頭の一首
【建設地】
筑紫野市武蔵、天神館の藤前

夏目 漱石(なつめ そうせき)

夏目漱石

温泉(ゆ)のまちや
踊ると見えて
さんざめく

【作者】
文豪夏目漱石が、明治29年(1896)に二日市温泉に遊んだ際の一句。俳句の師に当たる正岡子規に送った。歓楽の街に盆踊りのざわめきが伝わる。
【建設地】
筑紫野市湯町、「御前湯」前

野口 雨情(のぐち うじょう)

野口雨情

山ぢゃ天拝月見の名所
梅ぢゃ太宰府天満宮
梅と櫻は一時にゃ咲かぬ
うすらおぼろの夜がつづく
今日は武蔵の温泉泊り
旅の疲れを湯で治す

【作者】
野口雨情は、「七ツの子」「証城寺の狸囃子」など童謡のほか「波浮の港」など民謡の作詞家。昭和5年(1930)ごろ、「筑紫小唄」をこの地で詠んだ。
【建設地】
筑紫野市二日市中央、JR二日市駅前
【注】二日市温泉は古くは武蔵温泉という

田口 白汀(たぐち はくてい)

田口白汀

千年の 樹齢を保ち いや増しに
秀出る是れの 椿(つばき)を仰(あお)ぐ

【作者】
筑紫野市に住んだ田口白汀(「現実短歌」主宰)が、武蔵寺に自生する古椿の清らかさを詠んだ。野口雨情、斎藤茂吉とも親交があった。
【建設地】
筑紫野市武蔵、武蔵寺境内

高濱 年尾(たかはま としお)、稲畑 汀子(いなはた ていこ)

高濱年尾、稲畑汀子

高濱 年尾
温泉(ゆ)の宿の 朝日の軒の 照紅葉(てりもみじ)
稲畑 汀子
梅の宿 偲(しの)ぶ心の ある限り

【作者】
高濱年尾は、虚子の子息。二日市温泉に遊んだ晩秋の朝の豊かさを一句にした。
【作者】
稲畑汀子は、年尾の息女。
【建設地】
筑紫野市湯町、「エイリックタウン二日市湯町の杜」マンション前

高濱 虚子(たかはま きょし)

高濱虚子

更衣(ころもがえ)したる 筑紫の 旅の宿

【作者】
ホトトギス派の巨匠、高濱虚子が昭和30年(1955)5月14日、二日市温泉に遊んだときの一句。
【建設地】
筑紫野市湯町、「エイリックタウン二日市湯町の杜」マンション前

安西 均(あんざい ひとし)

安西均

筑紫の 天拝山の いただきに 巨いなる鳥の
飛びたちかぬる すがたして 千とせ経し
松の見えしが 今は在らぬを いぶかしみ
問へども ふるさとびとら 興なげにいふ
いづれの年の 夏なりけむ 台風に斃れきと。

おもふらく ふるさとに よるべなき
精霊のごとく かなしびの 嵐にまぎれ
そは いづかたとなく 天翔りたるにあらずや。

日ならずして ふるさとびとら 松の骸を見つけ
笑ひさざめきつつ 木挽きしけむが
飛び去りしものの こころは知らざりき。

あはれ 目に追へど かの老いて巨いなるもの
ふるさとの空に無く
冬ざれの 白縫筑紫。

【作者】
詩人安西均(本名やすにしひとし)が生まれ育った筑紫の地は、菅公の天拜山で有名。その山頂の老松はシンボルだったが、昭和5年(1930)の暴風で倒れた。その姿をしのんで詩魂を傾けた。
【建設地】
筑紫野市二日市南、市民図書館前庭

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