本文
歌碑・句碑を歩く(1)
万葉の昔から、この筑紫は、政治と文化の要所として栄えた。
今もいたるところに「史蹟」があり、名残りをとどめている。
天平の歌壇を彩った大伴旅人、山上憶良らが、大宰府の役人として西下、この地を数多く歌いあげた。
また旅にロマンを求めた人々が、二日市温泉に遊び、ひと時の歓楽を詠んだところである。
和歌に俳句に心が息づいている。
大伴旅人、四綱などの筑紫歌壇
大伴 旅人(おおともの たびと)
橘の 花散る里の ほととぎす
片恋しつつ
鳴く日しそ多き
【訳】
橘の白い花も散る初夏のこの里は、ほととぎすも、一羽だけで誰かを恋いしそうに鳴く日が多いことである。
【作者】
神亀5年(728)、愛妻大伴郎女を亡くした大宰帥旅人が嘆き悲しみの心を詠んだ。
【建設地】
筑紫野市上古賀、文化会館前
大伴 旅人(おおともの たびと)
湯の原に
鳴く葦田鶴は わがごとく
妹に恋ふれや 時わかず鳴く
【訳】
湯の原で鳴いている鶴は、私のように、亡き妻を恋い慕うのであろうか。鳴きどおしに鳴いている。
【作者】
大宰帥(そつ)大伴旅人が妻の大伴郎女を亡くした悲しさを歌った。
【建設地】
筑紫野市湯町パープルホテル前
【注】「日本古典文学大系」では「芦田鶴」は「葦鶴」
大典麻田連陽春(だいてんあさだのむらじやす)
唐人の 衣染むとふ 紫の
情に染みて
思ほゆるかも
【訳】
韓・唐人の優れた染色の技で染めた高貴な紫色の衣が心に染ついて忘れ難く思われます。
【作者】
大宰帥大伴卿大納言に昇進上京されるに当り府の役人等卿と筑前国蘆城の駅家にて惜別の宴を設けた時に詠める歌。
【建設地】
筑紫野市吉木
読み人知らず
をみなへし 秋萩交じる
蘆城野(あしきの)は
今日を始めて 万代(よろずよ)に見む
【訳】
おみなえしと萩とがまじり合って咲いている。秋景色にあふれる蘆城野は、今日からずっと、いつまでも眺めを楽しもう。
【作者】
読み人知らず。大宰府の役人の一人が宴会を張った時に歌った。
【建設地】
筑紫野市吉木、吉木小学校の校庭
大伴 四綱(おおともの よつな)
月(つく)夜よし 河音さやけし
いざここに
行くもゆかぬも 遊びてゆかむ
【訳】
照る月は明るく、河の水音は澄んではっきり聞こえる。さあ、ここ蘆城野で、都へ帰る者も、大宰府に残る者も一緒に、心ゆくまで遊んでいこう。
【作者】
防人佑(さきもりのすけ)大伴四綱が都へ帰る大宰帥(そつ)大伴旅人を送る一首。
【建設地】
筑紫野市阿志岐
筑後守葛井連大成(ちくごのかみふじいのむらじおおなり)
今よりは 城山道は
さぶしけむ
我が通はむと 思ひしものを
【訳】
これから先、基山越えの道は、楽しくないことだろう。君(大伴旅人)のいない大宰府へ通おうというのに。
【作者】
筑後守葛井連は百済系渡来人。神亀5(728)年、正六位から、外從五位下となった。大宰府官人。
【建設地】
筑紫野市山口、九州自然歩道基山コース沿い
つくし路に花開くロマン 万葉の歌人たち
大監伴氏百代(だいげむばんじのももよ)
梅の花 散らくはいづく
しかすがに この城の山に
雪は降りつつ
【訳】
どこの梅の花が散っているのだろう。それなのに、この城の山(基山)には雪が降りつづけている。
※一説には大野山を詠んだとも言う
【作者】
大宰大監(四等官)、天平2年(730)、旅人宅の梅花宴での作。後に鎭西府の副將軍。
【建設地】
筑紫野市山口、県営山神ダム広場
読み人知らず
珠匣(たまくしげ) 蘆城(あしき)の川を
今日見ては
萬代までに 忘らえめやも
【訳】
芦城の川を今日見たからは、いついつまでも忘れはすまい。
【作者】
読み人知らず
【建設地】
筑紫野市阿志岐
石上 堅魚(いそのかみの かつを)
霍公鳥(ほととぎす) 来鳴き響(とよ)もす
卯(う)の花の 共にや来(こ)しと
問はましものを
【訳】
ほととぎすが飛んできては高い鳴き声をあげている。それにしても卯の花とともに来たかと問いたいがはばかられるような気がする。
【作者】
石上堅魚 大宰帥旅人の妻の喪を弔うために朝廷から派遣された式部省の次官。基肄城に登って詠んだ。
【建設地】
筑紫野市大字山口(天拝湖)
沙弥 満誓(さみ まんせい)
しらぬひ 筑紫(つくし)の綿(わた)は
身につけて
いまだは著(き)ねど
暖(あたた)かに見ゆ
【訳】
九州筑紫の綿は身につけて今までに着たことはないが見るからに暖かそうだ。
【作者】
沙弥満誓 観世音寺の別当。養老7年(723)、同寺建立のために九州へ派遣された。
【建設地】
筑紫野市大字山口(天拝湖)