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現在位置:HOMEの中の分類から探す(教育・人権・文化・スポーツ)の中の文化財・芸術・歴史から「日本遺産」の認定(変更)について
更新日: 2020年6月24日
 

「日本遺産」の認定(変更)について

日本遺産ロゴマーク                                 

 日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
 このたび、平成27年度に太宰府市が認定された日本遺産「古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~」について、福岡県の取り組みとして拡充が図られ、その範囲を筑紫野市、春日市、大野城市、太宰府市、那珂川市、宇美町、基山町(佐賀県)へ広げる変更が認定されました。

ストーリータイトル

 「古代日本の「西の都(みやこ)」~東アジアとの交流拠点~」

概要

 大宰府政庁を中心としたこの地域は、古代の東アジアとの外交や軍事の中心であり、文化・宗教・政治・人の流入によって豊かな文化が花開いた土地であり、古代国際都市「西の都」を現代において体感できる。

構成自治体

 福岡県(代表自治体)、筑紫野市、春日市、大野城市、太宰府市、那珂川市、宇美町、基山町(佐賀県)

構成文化財

 ストーリーを構成する文化財は30項目あり、本市からは以下の10項目が認定されました。

 
構成文化財のストーリーの位置づけ
宝満山(国史跡) 
大宰府の北東にそびえる標高829mの山で、古くは御笠山と呼ばれ、美しい山容を誇る。奈良時代より山中で国家的国境祭祀が行われた。最澄は入唐の際にここで薬師仏を彫り航海安全を祈願したと記録され、帰朝後は日本六所宝塔を発願し、ここに安西塔が建立された。中世には寺院や大宰府守護の館がおかれ海外交易なども行っていた。現在は竈門神社の社地となり、古代祭祀の山の風情を伝える。
宝満山遠景
万葉集筑紫歌壇
万葉集約4500首のうち、筑紫で詠まれた歌は約320首。奈良時代の神亀から天平年間に太宰府に滞在し、万葉集に歌を残した著名な歌人集団。とくに大宰帥大伴旅人邸で開かれた「梅花宴」32首はその名を知られる。当時「梅」は唐から渡ってきた新奇な先進の文物のひとつであった。歌は大宰府近郊でも盛んに詠まれ、豊かな文化が育まれた。
二日市温泉に建つ大伴旅人歌碑
大宰府条坊跡
古代、東アジアの都で採用された碁盤目の地割をもつ都市の跡である。飛鳥時代に造営され、奈良時代には政庁・朱雀大路を備えた。その姿は唐の長安城をモデルとした平城京と似ており、設計・造営には平城京造営責任者があたっている。今も街の処々に条坊の痕跡をとどめた地割が残されている。
大宰府条坊跡遠景
官道
大宰府の出入口となった水城の西門・東門を通過する直線道である。西門ルートは筑紫館(鴻臚館跡)と大宰府を結ぶ道で、外国使節はこのルートで大宰府へ入った。東門ルートは博多に繋がっており都からの官人赴任ルートとみられる。西門・東門ルートともに現在は市道として踏襲されている。大宰府から南に向かっては、筑後、肥前、豊前、豊後など西海道各地へと連なる官道がのび、さまざまな文物や人々が交流し、都市大宰府の発展を支えた。

岡田地区遺跡 官道
基肄城跡(特別史跡)
663年の百済役の後、大野城跡と同じ665年に築城された古代山城である。大宰府政庁の真南にある坊住山(404m)に所在し、大野城や水城とともに百済系都城の特徴をよく示している。奈良時代には、妻を亡くした大伴旅人と弔問に訪れた官人らが基肄城に登って歌を詠むなど、かつての緊迫した雰囲気とは一転し、交流の場ともなっていた。
基肄城跡東北門
阿志岐山城跡(国史跡)
大宰府東南の宮地岳北麓に所在する古代山城で、大野城・基肄城とも同じ時代に存在した。精緻に加工された石材を用いた石塁や、盛土を層状に突き固めて構築した土塁の築造には、当時の高い先進的技術の導入がみられ、技術面での交流が行われたこともうかがえる。
阿志岐山城跡遠景
次田温泉(二日市温泉)
万葉集に「次田温泉」とあり、大宰帥である大伴旅人が大宰府の地で妻を亡くした悲しみを、「湯の原」で鳴く鶴に重ねて読んだ歌が残され、小字にも「湯の原」がある。平安時代末ごろの『梁塵秘抄』には、大宰府高官、観世音寺僧、安楽寺僧、四王寺僧、大宰府の武士や料理人、武蔵寺の順で入浴すると記され、疲れを癒す場であるとともに、湯に集まる官人や僧らの交流の拠点でもあった。
二日市温泉現在
塔原塔跡(国史跡)
中心に仏舎利を納めるための舎利孔をもつ花崗岩製の塔心礎が残る。『上宮聖徳法王帝説』の裏書から、筑紫大宰帥蘇我臣日向が白雉5(654)年に建立した「般若寺」にあてる説もある。畿内の山田寺の軒瓦に系譜を持つ軒丸瓦や軒平瓦の存在から、「西の都」の成立以前から筑紫と畿内との交流があったことがうかがえる。
塔原塔跡 塔心礎
天拝山
「西の都」の南に所在する標高258mの低山で、『北野天神縁起』に菅原道真が無実を訴えるため山に登り「天道」に向かって祈ったという伝承がみえ、宗祇の『筑紫道記』(文明年間〔1469-1486〕)ではその地を天拝山とする。中国の南郊祭祀(冬至に天子自ら都城南郊で天を祀る祭祀)を想起させる伝承で、大宰府近郊では重要な山と認識されていた可能性がある。その山頂からは博多湾までを一望することができ、眼下に交流の都が広がっている。
天拝山遠景
杉塚廃寺(市史跡) 
奈良時代の初めごろに建立された古代寺院で、礎石建物跡が見つかっている。大宰府政庁や周辺の役所で使われたものと同じ軒丸瓦や軒平瓦が葺かれており、都近郊の建物もまた先進的な瓦によって彩られていた。
杉塚廃寺 建物跡

 詳細は福岡県のホームページをご覧ください。

お問い合わせ先

筑紫野市教育委員会 文化財課 保存活用担当(筑紫野市歴史博物館内)
電話番号 092-921-8419
ファックス番号 092-922-1912
電子メール k-furusato@city.chikushino.fukuoka.jp

このページに関するお問い合わせ先

担当部署: 教育部 文化財課 歴史博物館「ふるさと館ちくしの」
電話番号: 092-922-1911
ファックス番号: 092-922-1912


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