寛文(かんぶん)九年十二月平石坊(ひらいしぼう)(ごんの)大僧(だいそう)()(しょう)銘 瓦質(ほこら)」が市の有形文化財に指定されました

 このたび、柚須(ゆす)(ばる)観音堂から見つかった「寛文九年十二月平石坊権大僧□和尚銘 瓦質祠」が市の有形文化財に指定されました。

 「平石坊」とは、宝満山(ほうまんざん)中につくられた僧侶の住居、「坊」のひとつで、「権大僧□和尚」は、宝満山二十五坊の(しゅう)()(山伏衆のリーダー)を務めた平石坊弘有(こうゆう)に該当すると考えられます。それは、寛文9(1669)年の時期が、弘有が衆頭であった(まん)()元(1658)年から元禄(げんろく)元(1688)年までの間に一致することからわかります。

 弘有は、室町期の戦乱によって衰退した宝満山の復興に尽力し、経典や仏具の寄進、講堂の再建、祭事の再興など数々の事業を実現した、宝満修験道(しゅげんどう)の歴史を語る上で欠かせない人物です。

 この祠に刻まれている文字から、平石坊弘有の功績の一端を垣間見ることができます。そして、この祠は、宝満修験道の信仰のあり方が形としてわかる資料として、高い評価をあたえることができます。

※ 指定名称の読み方については複数あり、ひとつに定まっていません。そのため、本文では、一般に多く使われている読み方でルビを付しています。

※ 「□」は欠けて文字が読めない部分です。

 瓦質祠
祠の復元想定図 
瓦質祠
祠の復元想定図