79. 歌のなかの二日市温泉


梁麈秘抄』
(原資料.天理大附属天理図書館蔵)
 平安時代中頃の『古今和歌集』には、源実(みなもとのさね)が湯治のため、筑紫へ旅立ったときの、遊女との別れの歌が収められています。「せめて命だけでも願いどうりになるならば、なんでお別れが悲しゅうございましょうか」と涙を流す遊女に、
 「これは自分から望んだのではなく、強いられた旅なのだ」と慰めた歌です。当時の法律(職員令)では、官僚が病気になると、官位五位以上は天皇の命令で医師が派遣され、その指示に従って温泉などで療養することになっていました。

 源俊頼が父で大宰権帥の経信の葬儀を終えた帰り、二日市温泉に立ち寄って詠んだ歌が残されています。「悲しさの涙とともにわきかへるゆゆしき事をあみてこそしれ」。父を失った「由々しい出来事に悲しい涙がわく」というのと、「湧き出る湯に湯浴みする」を掛けた歌です。
 『梁塵秘抄』には、二日市温泉での入浴の社会的序列を示した歌があります。「すいたのみゆのしたいは、一官二丁三安楽寺 四には四王寺五さふらひ、六せんふ 七九八丈九けむ丈 十にはこくふんのむさしてら よるは過去の諸衆生」。最初に入浴するのは大宰府の高官で、次に丁(観世音寺)の僧侶、安楽寺(太宰府天満宮)の僧侶、四王寺の僧侶、大宰府勤務の武士、大宰府勤務の料理人が続きます。「七九八丈」の意味はわかりません。
 二日市温泉が歴史に登場するのは、はるか1300年前の奈良時代です。最古の和歌集である『万葉集』には、大宰帥(長官)大伴旅人が亡き妻を慕って詠んだ歌が収められています。歌の詞書(ことばがき)にある「次田温泉(すいたのゆ)」が現在の二日市温泉のことです。律令国家によって地方行政制度が整備され、この一帯は御笠郡となり、そのなかに大野・次田・御笠・長丘の4つの郷がありました。筑紫野市役所付近を次田(つぎた)といいますが、これは古代の名残りです。「ふるさと館ちくしの」一帯には「湯の原」という地名もあり、万葉の舞台であったことを彷彿とさせます。

『万葉集』この写本は、儒学・林羅山の旧蔵
(玉泉館)書です。(原史料:国立公文書館蔵

次田郷印
(複製/原資料:天理大学付属天理図書館蔵)


 



 「けふは湯町の温泉どまり 旅の疲れを湯で治す 秋が来たやら竈川の紅葉 山の木の葉も色がつく 梅と桜は一時に咲かぬ うすらおぼろの夜がつづく 昔偲んで都府楼の跡を 啼いて空ゆく時鳥 ここは筑前刈萱関所 歌でなつかし物語 遠い昔をしのべとけふも 観世音寺の鐘が鳴る 湯町ちょいと出りゃ急行電車 博多久留米は一走り 山ぢゃ天拝月見の名所 梅ぢゃ太宰府天満宮 榎寺なら筑紫の水城 麦や菜種の畑つづき 明けてうれしい天満宮の 春の鷽かへ縁となる」昭和2年(1927)ごろの作です。
 旅館・玉泉館の前庭には、昭和30年(1955)5月14日、ホトトギス派の歌人・高浜虚子が二日市温泉に遊んだときの一句が歌碑として伝えられています。「更衣したる筑紫の旅の宿」。
 古代から絶えることなく歴史の舞台となってきた二日市温泉は、現在も多くの人々に親しまれています。
           (山村淳彦)

〈参考〉
ちくしの散歩(61)「野口雨情の筑紫小歌」
『筑紫野市史』下巻 1999

*二日市温泉の名称は、昭和25年(1950)に命名されました。それ以前は武蔵温泉、薬師温泉、次田温泉(すいたのゆ)などと呼ばれていましたが、ここでは、便宜上「二日市温泉」に統一しました。

武蔵寺
『梁塵秘抄』や『宇治捨遺物語』などの古典にもみえる古刹です。

 「けむ丈」は{仗で、大宰府の高官を護衛する武士のことです。最後に入浴するのは武蔵寺の僧侶、そのあとは過去の諸衆生(先祖の霊のことか)とされていました。この歌から、同温泉は大宰府政庁の付属施設として厳格に管理されていたことが推測されます。このように、二日市温泉は特別な温泉でしたから、大江隆兼や蓮禅、藤原行家など著名な歌人たちがこぞって入浴し、それぞれ歌を残しています。
 近代では、三条実美ら五卿の歌があります。慶応元年2月〜3年12月(1865〜67)まで太宰府に滞在した彼らは、この地で新しい国家への道を模索していました。実美の「ゆのはらに/あそふあしたつ/こととはむ/なれこそしらめ/ちよのいにしへ」の歌からは、近代国家の理想像として、古代律令国家が意識されいたことがうかがえます。
明治22年(1889)、九州鉄道が開通してからは、多くの文人たちがこの温泉を訪れ、作品を残しています。市福祉センター「御前湯」の入り口には「温泉(ゆ)の町や踊ると見えてさんざめく」の夏目漱石の歌碑があります。明治29年(1896)、漱石が新婚旅行で訪れたときに詠み、正岡子規に送った歌です。
 JR二日市駅前広場には、筑紫小歌と題する野口雨情の歌碑が建っています。少し長い歌ですが、雨情らしい調子の良い歌です。 

高浜虚子の歌碑