ふじいのむらじおおなり
   65.葛井連大成




▲葛井連大成の万葉歌碑

  佐賀、福岡県境の古代朝鮮式山城と草スキーで有名な基山(標高404m)にまつわる万葉歌碑が、登山道路沿いに建立されています。
 「今よりは 城山道はさぶしけむ 我が通はむと 思ひしものを」(巻五)。作者の葛井連大成は、朝鮮百済系の渡来人で、728年(神亀5)従五位下となった大宰府の役人です。上司の大宰帥・大伴旅人が愛妻大伴郎女を失ったのち、730年(天平2)12月半ば、奈良の都に帰任するまでの3年余、旅人とかなり親しい間柄でした。



 


▲基山へは自然歩道が整備されている





 

 

筑後守(筑後の長官格)をつとめていたので、大宰府の長官と面談する機会も多く、宴席でもたびたび顔を合わせていたようです。旅人がいない大宰府へ向かう城山(基山の別名)越えの道は、これまでのように楽しい道ではなく、何となく淋しい思いがする、と詠んでいます。
  城山にかかわる別の一首もあります。旅人への弔問使として派遣された式部大輔・右上堅魚が、大宰府の高官たちと同行したときに詠んだ「ほととぎす 来鳴とよもす卯の花の ともにや来しと 問はましものを」(巻八)の歌です。時鳥(ほととぎす)がこの山のに飛び交い鳴き声も高い。それにしても卯の花とともにやって来たのかと問いたい、という意味です。
  基山には、万葉歌人たちが詠んだ60余年前の天智天皇4年(665)、大宰府防衛のため百済国の亡命将軍、億礼福留と四比福夫の指導で、峰々のうち北方から東南部へかけて、馬蹄形の谷を抱いた山城が築かれたとされています。大宰府官人たちがたどった“城山道”とはどのルートを示すのか。「太宰府旧跡全図」(文化9年写)によると、東側中腹にある「両国峠」を通る山道ではないかとも考えられますが、現在の地図では確認できません。
  「橘の 花散る里の ほととぎす 片恋しつつ 鳴く日しぞ多き」(巻八)。64歳で妻を亡くした大伴旅人の嘆きの声まで聞こえてきそうな歌です。千数百年の時を経ても、基山という歴史舞台には歌人たちの思いがこもっているようです。