郡屋とは、郡内の村役人の集会所で、筑前六宿をはじめ主要な宿場に置かれていました。御笠郡(現在の筑紫野市・太宰府市・大野城市を合わせた範囲)では、山家・原田・二日市に置かれていましたが、現在残っているのは山家だけです。山家宿の郡屋については、文久(ぶんきゅう)2年(1862)の指図があり、建物の広さや位置関係がよくわかります。それを見ると、門を入って左に郡屋守の屋敷と宝蔵があり、その先が郡屋で敷地の中央に位置しています。郡屋の右には稲屋と穀蔵、その奥に牛馬小屋があって裏門に続いています。裏門の並びには灰屋(堆肥を置く所)・材木小屋・薪小屋があり、いちばん奥に土蔵があります。 郡屋は入り口の先が土間になっており、土間を囲むように8畳・6畳・8畳・16畳・8畳・12畳の6部屋が設けられていました。参勤交代に係わる打合せや藩からの重要な伝達があったときには、ここに郡奉行・代官・下代・大庄屋・庄屋・組頭などが集まって会議を開きました。今では郡屋本体と宝蔵は残っていませんが、そのほかの建物はおおむね保存されており往時を偲ぶことができます。 [『筑紫野の指定文化財』より]