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現在位置:HOMEの中の分類から探す(教育・人権・文化・スポーツ)の中の文化財・芸術・歴史から1.筑紫野市の歴史
更新日: 2009年2月19日

1.筑紫野市の歴史

 筑紫野市は、福岡平野と筑紫平野の接点に位置し、太古から交通の要衝として栄えてきました。
 市内で最も古い遺跡は約25,000年前の旧石器時代の遺跡です。野黒坂遺跡や峠山遺跡は福岡県で最初に旧石器時代の考古学的な発掘調査が行われました。また、縄文時代の遺跡も市内各所で発見されていますが、その多くは後世の削平を受けています。
 市内の弥生時代の遺跡からは後漢鏡を始め、朝鮮半島製のヤリガンナ、銅戈の一括埋納、ゴホウラやイモガイ製の貝輪等も出土し、大陸や西南諸島との関係がうかがわれます。

  
  古墳時代には数多くの古墳が築かれ、なかでも九州で最も古い前方後円墳といわれる原口古墳や国指定史跡で装飾古墳の五郎山古墳はとくに著名です。
 古墳時代の終わり頃になると、白村江の戦いの後、筑紫野市周辺には大宰府、水城、大野城、基肄城が築かれました。基肄城は筑紫野市と佐賀県にまたがる基山に築かれた城で、筑紫野市から登る道筋には今も北帝門の跡等が残っています。
 やがて、奈良時代になり国際関係も落ち着きを取り戻すと、大宰府は軍事的役割から政治・経済的役割を担うように政庁として整備され、筑紫野市の北部を含む範囲で条坊制という都市計画が行われていたと考えられています。また、発掘調査でも、鴻臚館から大宰府、大宰府から豊後へ抜ける官道や大宰府の中央を走る朱雀大路と考えられる道路跡、大宰府から米ノ山峠を抜け豊前に至る官道の最初の駅で万葉集にも詠まれた蘆城駅家と考えられる遺跡が発見されています。
 平安時代末期から鎌倉時代の遺跡からは、中国・朝鮮半島製の陶磁器や美濃・京都・備前等の国産陶器も見つかっており、当時の活発な経済活動がしのばれます。戦国時代には、筑紫氏、高橋氏と島津氏の戦いが繰り広げられ、当時の城跡や館跡が知られています。
 江戸時代には、長崎街道や薩摩街道、日田街道が通り、二日市宿や筑前六宿の山家宿、原田宿が整備されています。

このページに関するお問い合わせ先

担当部署: 教育部 文化振興課
電話番号: 092-921-8419
ファックス番号: 092-921-8379


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