武蔵寺経塚は、武蔵寺の西側、通称「堂山(どうのやま)」と呼ばれる小山の頂に造営された平安時代後期の経塚です。経塚とは仏教の経典を埋納したところをいい、末法の世まで経典を保存し、極楽往生することを願って10世紀の終わりごろから造られるようになりました。 武蔵寺経塚では、昭和40年頃、2本の経筒(埋納するための経典を納めた容器)が盗掘されました。のちに、その経筒には「武蔵寺」「寛治(かんじ)8年(1094)」の銘文があったことが判明しました。さらなる盗掘を防ぐため現地保存を断念し、同43年4月と9月、同54年11月の3回にわたって発掘調査が実施されました。その結果、新たに11基の経塚が確認され、大治(だいじ)元年(1126)銘の経筒1本を含む計7本の経筒と青白磁香合、和鏡、銅鈴、須恵器などの遺物が出土しました。 武蔵寺経塚群は、学術的な発掘調査によって確認された希有な例であり、北部九州の経塚研究の基本資料とされています。 [『筑紫野の指定文化財』より]