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現在位置:HOMEの中の分類から探す(教育・人権・文化・スポーツ)の中の文化財・芸術・歴史から高橋紹運首塚伝承地(市史跡)[二日市北]
更新日: 2017年12月28日
 

高橋(じょう)(うん)首塚伝承地(市史跡)[二日市北]

 高橋紹運は、戦国時代末期の豊後国大友氏の武将です。吉弘(よしひろ)鑑理(あきただ)の子で、はじめは吉弘鎮理(しげただ)といい、(げん)()(1570)、高橋鑑種(あきたね)追放後の高橋家を継いで鑑種(しげたね)(入道して紹運)と改め、岩屋・宝満両城主となりました。(てん)(しょう)14(1586)7月、薩摩国島津氏の攻撃を受け敗死しました。この首塚がある地は、島津氏の本陣付近にあたり、紹運の首は実検(じっけん)が行われた後、この地に埋められたとされています。

 紹運塚のことは貝原益軒(かいばらえっけん)の『筑前(ちくぜん)(のくに)(ぞく)風土記(ふどき)』にもみえ、古くから注目を集めていたことがわかりますが、『筑前国続風土記()(ろく)』には「村の(うしとら)茱原(ぐみはら)あり。東西四間南北五間(ばかり)也。昔は封塚ありしといへとも今ハなし」。『福岡県地理全誌』には「数十年前、塚ノ四方ヲ石ニテ畳メリ」とあり、変遷がうかがわれます。

 

『筑紫野の指定文化財』より

 
 
 
高橋紹運首塚伝承地の様子
高橋紹運首塚伝承地

このページに関するお問い合わせ先

担当部署: 教育部 文化情報発信課
電話番号: 092-921-8419
ファックス番号: 092-922-1912


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