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現在位置:HOMEの中の分類から探す(教育・人権・文化・スポーツ)の中の文化財・芸術・歴史から『正徳四年ヵ「二日市宿庄屋覚書」(河口屋水城正五郎写)』(市有形文化財)[二日市中央]
更新日: 2017年12月27日
 

(しょう)(とく)()(ねん)()「二日市宿(しょう)()(おぼえ)(がき)」(河口(かわぐち)()(みず)()(しょう)()(ろう)(しゃ))』(市有形文化財)[二日市中央]

 
 
正徳四年ヵ「二日市宿庄屋覚書表紙
 
正徳四年ヵ「二日市宿庄屋覚書裏表紙

 本史料は、山家宿(ぐん)()(もり)水城氏の四代目にあたる水城正五郎が、慶応(けいおう)3(1867)年長男に家督を譲ったあとに書き写した写本で、原本は、慶長以来御笠郡二日市村庄屋を代々世襲して()(あし)甚三郎が、庄屋役引退後の正徳4(1714)年に、自家に伝わる古文書や古老の話、自身が関与した二日市宿の事件等を記録したものです。

 本史料には、

・ 長崎街道成立以前は、上方(かみがた)・長崎方面、豊後方面との通行に二日市を経由していたこと。
冷水(ひやみず)峠開削の経緯、山家宿、(うち)()宿設置の経緯。
(はる)()宿の設置が寛永(かんえい)21(1644)年頃だったこと(他に検証史料がない)。
・ 二日市が(てん)(しょう)19(1591)年には伝馬の用意を命じられており、山家宿の設置より20年早く宿駅として成立していたこと。
・ 天満宮文書にも記載されていた「二日市場」が寛永17(1640)年に再興し、にぎわっていたこと(他にこのことに関する史料がない)。

などが記録されています。

 また、伝承ではあるものの、(じょう)(うん)塚、川船、(ろく)地蔵、(なまず)(いし)、二日市八幡宮銀杏樹(いちょう)などの記述もあり、筑紫野市の地域史に欠かせない史料です。

このページに関するお問い合わせ先

担当部署: 教育部 文化財課
電話番号: 092-921-8419
ファックス番号: 092-922-1912


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