ホーム担当部署から探す筑紫野市公共施設マップよくある質問Q&A申請書ダウンロード各課等メールアドレス
 
印刷用ページ
初めての方へサイトマップ翻訳(English Translation|Chinese Translation|Korean Translation)
文字のサイズ
縮小標準拡大
 
 
現在位置:HOMEの中の分類から探す(教育・人権・文化・スポーツ)の中の文化財・芸術・歴史から堀池遺跡の木炭槨木棺墓
更新日: 2013年4月12日

堀池遺跡の木炭槨木棺墓

 
 堀池遺跡は、JR二日市駅周辺に分布しており、今日までに四度にわたる調査により弥生時代を中心とする集落遺跡であると考えられてきました。いずれも調査範囲が小規模でしたが、平成24年6月から発掘調査を実施した第5次調査において、古代の大宰府に関連する遺構が見つかりました。調査地は、大宰府条坊南端からさらに南へ500mほど離れた郭外です。近年では、条坊の外側においても古代大宰府に関連する遺構の発見が続いています。

 調査では、平安時代(9世紀中頃から後半)と考えられる4基の墓が発見されました。分布状況は、集団墓のように群集しているという風でもなく、単独の墓が一定の範囲を墓域として占有していた様子が想定されます。

 このうちの一基、調査区の北端でみつかった墓については、特に「木炭槨木棺墓」と呼ばれている特殊なもので、墓坑内の木棺(鉄釘の位置より推定。長さ1.8m、幅0.4m、深さは棺の崩壊により不明。)の外周に一回り大きな長さ2.0m、幅0.8m箱状区画(木槨もしくは箱状の蓋)を設けて二重構造としています。その周りに吸湿用と推測される大量の木炭(使用された木炭量は約0.5立方メートルと推測される。)を詰め込んで木炭槨により主体部を保護するというものです。

 また、さらに墓の周囲は、直径約6mの円形周溝と外側にある一辺約17mの方形周溝とに囲まれ、外界から区画されています。平安時代の墓としては極めて大規模なもので、埋没状況から封土(盛り土)があった可能性も考えられます。
木炭槨木棺墓のイメージ図木炭槨木棺墓のイメージ図
 全国の出土事例を見てみますと、木炭槨木棺墓は平安時代前期にその年代中心があるようですが、畿内を中心として新潟県と福岡県(大宰府)に一例ずつがあるのみで、約90%が畿内で見つかっている墓制です。出土遺物にも鏡や石帯、水晶玉や真珠等の玉類、漆箱などの格式が高い希少遺物が出土する傾向があるのが特徴です。

 今のところ、被葬者像については不明ですが、墓坑内南西隅から越州窯系青磁が出土したり、北東隅からは漆状物質の被膜片(漆器か)が見つかったりと、古代都市大宰府の運営に直接的に関与した官人であることには疑いなく、今後もその究明について興味がつきません。

                       墓内部の写真
 堀池遺跡第5次発掘調査地点上空から(北が上)
 堀池遺跡第5次発掘調査地点上空から(北が上)

このページに関するお問い合わせ先

担当部署: 教育部 文化情報発信課
電話番号: 092-921-8419
ファックス番号: 092-922-1912


一言アンケート (※氏名・住所・電話番号・メールアドレスといった「個人情報」は入力しないようにしてください。)
このページは役に立ちましたか?



 
 
 
※255文字を超えるご意見は受け取ることが出来ませんのでご注意ください。

 
サイトマップリンク集個人情報の取り扱いについて著作権・リンク等について各課等メールアドレス