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現在位置:HOMEの中の分類から探す(教育・人権・文化・スポーツ)の中の文化財・芸術・歴史から1.筑紫野市の歴史
更新日: 2017年8月29日

1.筑紫野市の歴史

 筑紫野市は、福岡平野と筑紫平野の接点に位置し、太古から交通の要衝として栄えてきました。
 旧石器時代 野黒坂遺跡や峠山遺跡などでこの時期の石器が発見されており、早くから人々が生活を営んでいたことがわかります。
 縄文時代 原遺跡で石組みの炉と押型文土器などが見つかっています。山裾や微高地で暮らしていたようです。
 弥生時代 市内各所で集落や墓地が営まれました。墓地からは後漢鏡をはじめ朝鮮半島製のヤリガンナ、一括埋納された銅戈、ゴホウラやイモガイ製の貝輪等も出土しており、大陸や南西諸島とも交易していたことがうかがえます。

 
 
隈・西小田地区遺跡23号甕棺の副葬品出土状況
 
隈・西小田地区遺跡23号甕棺副葬品
 
 
 
五郎山古墳奥壁
 

 古墳時代 数多くの古墳が築かれました。なかでも、九州で最も古い前方後円墳の1つといわれる原口古墳や、国指定史跡で装飾をもつ五郎山古墳は著名です。
 古墳時代の終わりごろ 白村江の戦いののち、筑紫野市周辺には大宰府、水城、大野城、基肄城が築かれました。基肄城は基山(筑紫野市・佐賀県三養基郡基山町)に築かれた城で、筑紫野市には北帝門跡、東北門跡などがあります。

 
  
 

 奈良時代 大宰府は軍事的役割から政治・経済的役割を担う政庁として整備され、筑紫野市の北部を含む範囲で「条坊制」という都市計画が行われていたと考えられています。発掘調査でも、鴻臚館から大宰府へ向かう官道、大宰府の中央を貫く朱雀大路と考えられる道路跡、大宰府から米ノ山峠を抜け豊前に至る官道、その最初の駅で万葉集にも詠まれた蘆城駅家と考えられる遺跡が発見されています。
 平安時代末期から鎌倉時代 経済活動が活発であったのか、遺跡から中国・朝鮮半島製の陶磁器や美濃・京都・備前などの国産陶器が見つかっています。
 戦国時代 筑紫氏、高橋氏と島津氏の戦いが繰り広げられ、多くの城や館がつくられました。
 江戸時代 長崎街道や薩摩街道、日田街道が通り、二日市宿や、筑前六宿の山家宿、原田宿が整備されることで、多くの人やモノが行き交うところとして発展しました。

 
岡田遺跡の古代官道跡

このページに関するお問い合わせ先

担当部署: 教育部 文化情報発信課
電話番号: 092-921-8419
ファックス番号: 092-922-1912


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