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現在位置:HOMEの中の分類から探す(教育・人権・文化・スポーツ)の中の文化財・芸術・歴史から1-1.筑紫野市の歴史
更新日: 2018年1月11日
 

1.筑紫野市の歴史

1.筑紫野市の歴史

 筑紫野市は、福岡平野と筑紫平野の接点に位置し、太古から交通の要衝として栄えてきました。

旧石器時代

 野黒坂遺跡や峠山遺跡などでこの時期の石器が発見されており、早くから人々が生活を営んでいたことがわかります。

縄文時代

 (はる)遺跡で石組みの()押型文(おしがたもん)土器などが見つかっています。山裾や微高地で暮らしていたようです。

弥生時代

 市内各所で集落や墓地が営まれています。墓地からは前漢鏡をはじめ朝鮮半島製のヤリガンナ、一括埋納(まいのう)された(どう)()、ゴホウラガイやイモガイ製の貝輪なども出土しており、大陸や南西諸島とも交易していたことがうかがえます。

 
 
隈・西小田地区遺跡23号甕棺の副葬品出土状況
 
隈・西小田地区遺跡23号甕棺副葬品

古墳時代

 数多くの古墳が築かれました。なかでも、九州で最も古い前方後円墳の1つといわれる原口(はらぐち)古墳や、国史跡で装飾をもつ()郎山(ろうやま)古墳は著名です。

   五郎山古墳奥壁

古墳時代の終わりごろ

 白村江の戦いののち、筑紫野市周辺には()(ざい)()(みず)()、大野城、基肄(きい)(じょう)が築かれました。基肄城は()(ざん)(筑紫野市・佐賀県三養基(みやき)(ぐん)()(やま)(ちょう))に築かれた城で、筑紫野市には北帝門跡、東北門跡などがあります。

奈良時代

  
 
岡田遺跡の古代官道跡

 大宰府は軍事的役割から政治・経済的役割を担う政庁として整備され、筑紫野市の北部を含む範囲で「条坊制」という都市計画が行われていたと考えられています。発掘調査でも、(こう)()(かん)から大宰府へ向かう官道(かんどう)、大宰府の中央を貫く朱雀(すざく)(おお)()と考えられる道路跡、大宰府から(こめ)()(やま)峠を抜け豊前に至る官道、その最初の駅で万葉集にも詠まれた蘆城(あしきの)(うま)()と考えられる遺跡が発見されています。


平安時代末期から鎌倉時代

 経済活動が活発であったのか、中国・朝鮮半島製の陶磁器や美濃・京都・備前などの国産陶器が見つかっています。

戦国時代

 (ちく)()氏・高橋氏と島津氏の戦いが繰り広げられ、多くの城や(やかた)がつくられました。

江戸時代

 長崎街道や薩摩街道、日田街道が通り、二日市宿や、筑前()宿(しゅく)(やま)()宿、(はる)()宿が整備されることで、多くの人やモノが行き交うところとして発展しました。

このページに関するお問い合わせ先

担当部署: 教育部 文化財課
電話番号: 092-921-8419
ファックス番号: 092-922-1912


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