し せつ やま え しゅく はる だ しゅく
88オランダ 使節と 山家宿・ 原田宿

 長崎・出島のオランダ商館から1633年以来、毎年3月に使節が江戸に行き将軍に贈り物をするのが慣例になっていました。このオランダ使節に随行したオランダ商館の医師のなかには、ドイツ人で博物学者として有名なケンペルとシーボルトがいます。この二人とも詳細な江戸旅行日記を残しています。その日記のうち、山家宿と原田宿の部分を紹介しましょう。

(1)ケンペルの日記
 ケンペルが長崎を出発し江戸に向かったのは1691(元禄4)年2月13日で、その4日目に筑前領に入っています。
「われわれの一行は今町、原田、十三塚、その他の小さな村を通り、いろいろな川を渡って3里半で山家に着き、そこで1時間の昼休みをとった。」
 原田についてはなにも書いていませんが、山家宿については有名な冷水峠を駕籠で越した様子や峠の女性が美人だったことを詳しく記しています。
「山家は200〜300戸の村で住民も多く大へんよい旅館があってそこで一休みした。山家の手前に1本のクスノキがあり、われわれが見たもののうちで4番目の並外れた大木であった。昼食
を終えて出発すると、我々の行く手には山道があって恐らく馬では登れそうもないので、四方とも開け放しになっていたが、小さい屋根の付いた狭い四角形の駕籠にやっとの思いで乗り込まねばならなかった。そしておのおのの駕篭を二人の男が担って半里の道を全速力で冷水峠の麓まで行き、それから峠の1里の道を登って名もない小さな村まで駕篭にゆられて行った。噂によると、この村の住人はみな今なお生きている一人の曽祖父から生まれた子孫であるという。われわれは村人が、ことに婦人がたいそう良い姿をし、着ているものも態度も話し方も感じが良く身分相応の教育を受けているように思った。」

(2)シーボルトの紀行
 それから百年ほど後の1823(文政6)年、長崎のオランダ商館に赴任してきたドイツ人医師シーボルトはまだ27歳の若い博物学者でした。その江戸行きの道中に観察した日本の植物・動物・鉱物に関する記述は驚くはど精細です。その一例を原田宿と山家宿に見てみましょう。

旧長崎街道付近の大楠
(筑紫野市下見「くすの木公園」)
 ○原田宿付近の植物と動物
 原田(はるだ)付近ではたくさんのナタネやカラシナがあった。日本のカラシナは品質が優良で、その味はイギリスやロシアのものによく似ている。
 今日は一匹のカワウソが私のすぐ前から小川へ飛び込んだのでびっくりした。
 ○山家宿の鉱物のコレクション
 われわれが泊まった山家で、われわれはまもなくこの土地の珍しい物を見つけた。中にはとくに珍しい鉱物のコレクションがあって日本人が





 
オランダ商館長の江戸参府行列図(シーボルト『日本』より)


めったに見たこともない化石が主なもので、この地方や近くの宝満岳で集められたものであった。
 このシーボルトから長崎の鳴滝塾で直接、教えを受けた日本の門人たちは、この江戸行きの途中、下関の宿でかねてシーボルトから命ぜられていたレポートを提出しています。そのなかに高野長英の「鯨ならびに捕鯨について」が見えます。これらの論文を受け取ったシーボルトは次のようにその日の感動を記しています。
 「私は頼んでおいた仕事を果たしてくれたこの感心な人たちの誠実さと熱心さにすっかり感動した。私は彼らを元気づけ、私の博物学上ならびにその他の研究をさらにすすめ、彼らの国にヨーロッパの学問を広めるために、彼らに積極的な協力と援助を約束した。」

(3)山家駅の怪獣
 シーボルト事件がおきる半年ほど前、文政11年3月、福岡藩主黒田斉清が養子の斉溥をつれてシーボルトを長



冷水峠付近の旧長崎街道(撮影年代:昭和初期)
崎のオランダ商館に訪ね、動植物についていろいろ質問しています。そのなかに「山家駅の怪獣」のことが見えます。
[問]
 文化10年のころ、山家駅に怪獣が民家に出没して放火するなど人を騒がすことが数ヶ月も続いた。その姿を見たものはいないが足跡が残っていた。昔、長崎にオランウータンが舶来した。その足跡は三つ叉の形をしていた。山家駅の怪獣の足跡もそれに似ている。オランウータンはどんな性質の動物か。
 この怪物に似たところがあるか。
[答]
 「山家駅の怪獣」の足跡がオランウータンに似ていると言うが、オランウータンはボルネオにだけ産して、猿の仲間のうち甚だ人間に近い。ほかの猿に比べると、もっとも無知で怒らず悪がしこくない。山家駅の怪獣はオランウータンではけっしてない。
 山家駅に怪獣が出没して食べ物を盗んだり放火したりしたという話は当時、伝説化していました(味噌食い化物の話)。この伝説をおそらく山家駅で耳にした藩主斉清が怪獣の足跡が三つ叉であるということから、かつて長崎に舶来されたオランウータンのことを思いだし、その性質をシーボルトに尋ねたものと思われます。
 オランダ使節の江戸旅行はいろいろな知識を日本人に与えていたのです。
            (近藤典二)