80.筑紫の古湯 二日市温泉

■二日市温泉の熱源
 九州の中央部には霧島火山帯があるため、多くの温泉に恵まれています。源泉は9,500ヶ所以上あるといわれており、数の上では九州3県が全国の温泉ベスト5に入っています(環境庁自然保護局施設整備課作成資料/平成10年3月)。まさに温泉の宝庫といえるでしょう。そのなかにあって、二日市温泉は「放射能泉」という珍しい温泉です。この種の温泉は、九州では玉名・日奈久(熊本県)、堀田(大分県)、弥次ヶ浜(鹿児島県)などがあり、全国的には三朝温泉(鳥取県)、増富温泉(山梨県)が有名です。
 では、放射能泉とは、どのような温泉なのでしょうか。筑紫野市周辺には、約9千万年前にできた「早良花崗岩」が広く分布しています。この岩には、ウランを含有したモナズ石という鉱物が多く含まれています。ウランが、ラジウムやラドンに変化していくときに出る熱で、鷺田川付近の地下水が暖められ、地上に湧出したのが二日市温泉です。
■温泉の効能
 原爆の悲惨な体験をもつ日本人は、“放射能”と聞いただけで、つい危険な印象を抱きがちです。しかし──── 、心配はいりません。微量の放射線は、大量の地下水によって希釈されていますから、人体への悪影響は全くありません。 それどころか、切り傷・やけど・皮膚病・動脈硬化症・神経痛・関節痛・リウマチ・糖尿病・痛風・冷え性・不妊症など、“万病に効く”といわれるのが、放射能泉の特徴です。切り傷によく効く温泉は、戦乱の時代では特に重用されたと思われます。詳しい記録はありませんが、二度にわたる蒙古襲来(1274、81年)、少弐氏・菊地氏の合戦(1336年)、島津氏の北部九州への侵攻(1586年)などの大戦では、相当数の負傷者が出たことでしょう。武田信玄が川中島合戦の4ヶ月前に、負傷者の続出を想定して湯屋(山梨県・川浦温泉)の造営にあたったことからもわかるように、交通の要衝にある二日市温泉は、重要な湯治場になったと思われます。




二日市温泉のしくみ

明治40年(1907)ごろの二日市温泉
洪水で流される以前の「川湯」の姿。
正面に見える のは男性用の浴舎です





■古典にみえる二日市温泉
 九州には、数多くの温泉がありますが、奈良時代からの歴史を持つ温泉となると、そうたくさんはありません。ざっと列記してみましょう。()内は旧名と出典です。
 二日市温泉(次田『万葉集』)、柴石温泉(赤湯)、鉄輪温泉(玖倍里)、亀川温泉(浜田。以上『豊後国風土記』)、別府温泉(速見『伊予国風土記』)、武雄温泉(柄崎)、嬉野温泉(嬉野)、雲仙温泉(温泉山。以上『肥前国風土記』)、霧島温泉(霧島『続日本紀』)。
 古典にみえる温泉となると、意外に少ないことがわかります。

 文化7年(1810)に出版された八隅蘆菴著『旅行用心集』には、36ヶ所の九州の温泉が紹介されています。先に列記した9ヶ所のほか、山鹿・新川(平安時代)、湯浦・入来(南北朝時代)、浜脇(室町時代)、小浜・垂玉(戦国時代)などが古くから知られていた温泉です。そして、これらはいずれも九州を代表する温泉として、現在も多くの入浴・観光客を集めています。
福岡県で唯一の温泉
 温泉ブームの現在では信じ難いことですが、100年ほど前までは、福岡県では二日市温泉が唯一の温泉でした。林貞裕著『温泉志』(出版年不詳)、渋井孝徳著『温泉譜』(1700年代)、三宅意安撰『本朝温泉雑考』(1767年)、前出の『旅行用心集』、いずれも筑前国では二日市だけを上げています。吉田東伍著

昭和10年(1935)ごろの糀屋旅館
当時は木造3階建旅館が並んでいました。
『大日本地名辞書』(1900年)には、「(湯つぼ)凡十四所、浴槽二十許、民家九十、皆浴戸なり、号して湯町と曰ふ、四時客来多し、福岡県唯一の温泉とす」と記されています。 このことから、『竹取物語』(9世紀後半〜10世紀前半)の「筑紫の国に湯浴み」、『本朝文粋』(11世紀中ごろ)の「西海温泉」、『朝野群載』(12世紀前半)の「鎮西温泉」、『本朝無題詩』(12世紀後半)の「西府温泉」など、古典にみえる筑紫の温泉の記述は、すべて二日市温泉のことであったと考えられます。
  (山村淳彦)

  〈参考〉
  『筑紫野市史』上巻 1999年

*二日市温泉の名称は、昭和25年(1950)に命名されました。それ以前は武蔵温泉、薬師温泉、次田温泉(すいたのゆ)などと呼ばれていましたが、ここでは、便宜上「二日市温泉」に統一しました。

明治30年代の二日市温泉街。当時は「武蔵温泉」といわれ、珍らしい川湯でした。