たねもみ
  75.種籾
の塩水選種法


▲福岡県農業総合試験場に建つ塩水選種法記念碑     

  塩水選種法記念碑

農作物選種法中最も簡易にして且効果の大なるものを塩水選法と為す農学博士横井時敬氏か明治十五年福岡県農学校教諭たりし際此の地に於て発明せし所にして其農事改良上に貢献せし功頗る偉なりとす此地初は勧業試験所たり後農学校農事試験場と為り今や又変して民有地と為る乃ち有志の士相謀りて記念碑を建てんとし文を余に乞ふ嗚呼滄海の変は古今免れさる所なりと唯一片の碑永く塩水選法創剏の地たるを表し偉績を後世に伝ふ余深く其挙の美なるに感し又此の地を過き此の碑を観る者感奮興起して更に有用の発明を為し以て益々我邦の農事改良に貢献する所あらんことを望むや切なり故に辞せすして之を記す
  明治四十二年十月
農商務大臣正三位勲一等男爵
大浦兼武 撰
東肥  土肥直康 書


  「豊年満作」という言葉が率直には喜ばれなくなっていますが、田園が稲穂で黄金色に染まる光景は、やはり心を豊かにします。稲作にかけた先駆者の功績を偲ぶ記念碑が、筑紫野市吉木の福岡県農業総合試験場の玄関前に建っています。
  塩水選種法───種籾を苗床にまく前に、塩水にひたして水に沈む健全な種子と不稔種子を分別する方法のことです。この発見をしたのが、熊本県出身で、明治時代に試験場長をつとめた横井時敬(1860〜1929)でした。
 横井は1882年(明治15)、旧那珂郡春

吉村(現福岡市東中州)に設立された県勧業試験所の農学校教諭に着任しました。5年後に試験場長となり、翌々年には農商務省に移っています。その間に農業の革新的な事績を残したことになります。
  きっかけとなったのは「多々良川流域の農民たちが、海の満潮時に流入する塩水を含んだ川水で、籾の善し悪しを決めていた」という実績で、これがヒントになったようです。収穫に大きく影響する「重要作物塩水選種法」として、1891年(明治24)に発表しています。









  

▲福岡県農業総合試験場の遠景
争中、武器弾薬製造の金属資源として強制的に供出させられました。現在の碑は、その代りとして石柱で同じ座に新しく建立されたという秘話が残っています。

しかし、その後「塩水選法のごときは発明の名に値せぬが、学理の応用を実証する好武器になったことに意義がある」と述べた、と伝えられています。 ▼1928年(昭和3)、昭和天皇の即位を祝って、新穀を供える大嘗祭が行われた。新穀の産地となる主基斎田は、福岡県脇山村に決定された。候補地選定の背景には、明治以来、農業生産力の向上に全力を傾注してきた、横井時敬の功績も大きかったと言われている。
 横井は私塾を開いたり、各地の農談会に出席して稲麦作の調査、講習など啓蒙活動を続けました。こうした福岡県下の農業改良の実績は、全国に広がっていきました。彼は、大正15年に『農業五訓』(福岡県農業資料館に展示)を表わしています。「一家を富ますは国家のためと心得、奢侈を戒め、勤倹の心肝要」(原文)で、農民は国民の模範的階級になるよう呼び掛けています。農学者であるとともに、教育者でもあり、後に東京帝大農家大学教授や東京農業大学の学長なども歴任しています。
 この石碑は、実は2代目になります。『福岡県立農業試験場百年史』には、明治42年に建立された銅製の“初代記念碑”の写真があります。現在の石垣の台座に建てられた高さ5〜6mの堂々たる円柱です。これは太平洋戦