つい な
60.「ほんげんぎょう」と 追儺


←日明けの”神造り”とみる
民俗学説があります。
除災と招福の祈り
をこめて、天高く
燃え上がる「ほん
げんぎょう」の火


(撮影:楢木敏之)
正月七日未明

寒夜の 
鬼火焚き


 いつの年でも正月元旦は、騒がしかった年の瀬を忘れさせるほど家の内外に清潔で厳かな気分が広がります。正月行事は日常生活の始まりに際し、年神が訪れて幸福をもたらすという古来の信仰によるものです。
 ところで、この元日の正月儀礼を「大正月」というのに対し、農漁村に古くから伝わるのが十五日の「小正月」です。その「入り」にあたって催されるものに一月七日の「ほんげんぎょう」(又はほっけんぎょう、どんど焼き、左義長(
さぎちょう)など)があります。
 家ごとに飾られた門松、注連縄(
しめなわ)は、正月に降臨した年神(としがみ)の依代(よりしろ)とされており、大正月が明ける七日にこれを燃やすことが神送りです。また、同時に小正月入りの神迎えとみる民俗学説があります。
 七日のほんげんぎょうは、北部九州にみられる正月儀礼で、全国的には十五日が多いようです。その場合「左義長」とよばれています。筑紫野市内では、昭和三十年前後まで各地でにぎやかに催されていました。しかし、都市化の中で衰え、今も行われているのは筑紫、山口地区など数箇所です。学校行事にしているのは筑山中学校(下見)で、三学期の初め校庭に太い真竹で高くヤグラを組んで火をつけ、そこに注連飾りやワラを投げ込んで燃やすのです。正月の書き初めの紙も燃やして、炎が高く上がれば上がるほど書道の腕が上達すると言われています。また、この火で焼いた餅を食べると、その夏は病気にかからないと言われています。


 
←太宰府の「鬼すべ」で鬼になった人が逃げ出して
  休んだ所が「鬼の面」の地名となった。
  市内紫に松尾宮と面掛松が今も残る。

 (撮影・田中鉄弥)
【筑前の古歌】

ほうげんぎょう     
ほうげんぎょう     
泣くもんな口焼こう  
なかんもんな尻焼こう
アカギレ焼こう     
ヒビ焼こう

=福岡市政だよりから=         
 寒波の厳しい一月七日未明、ムラの田圃や河原でおこなわれるほんげんぎょうは、昔から子どもが主役になっていました。
 青竹がポンポンと威勢良くはじける音。真っ赤に燃え上がるヤグラをとり囲んで歓声が向こうの田圃、こちらの
河原とせりあいます前日の竹の用意、注連飾り(しめかざり)集めやヤグラをこわされぬよう夜も眠らずに監視してきた子どもたちの興奮が、このとき一気に爆発するのです。市内でも馬市などでは小正月の前日の十四日未明にこの正月儀礼を催したようです
  き    めん                           ぶ ぞう じ
鬼の面」の地名に由来 中世の武蔵寺でも鬼やらい
 正月七日夜には太宰府天満宮で追儺行事の「鬼すべ」が行われます。他界にいる鬼にこの世の罪悪を背負わせて、猛火を浴びせて追い出し、幸福をもたらしてもらうという神事です。この鬼役にさせられた人が火に追われて筑紫野市の紫まで逃げてきて、鬼の仮面を松の木にかけて休んだことが「鬼の面」という地名の由来となっています。
 『筑前国続風土記附録』には「きのめんといふ所田の中に少シの森有。石五箇あり。きのめん殿と云。昔太宰府追儺の仮面を此の森の木に掛けたりし事あり。故に名つく」とあり、その面掛け松が残っています。
 また、筑紫野市武蔵の武蔵寺でも中世のある時期に「鬼やらい」、いわゆる鬼すべが行われていたようです。『筑前国続風土記』に「いにしへは、

此寺(観世音寺)及安楽寺、武蔵寺にて正月七日に寺のほとりの道行く人をとらへ、おもてに蒙`(もうき)をおほはせ、身にいろとられるきぬきせ、儺鬼と称し、里の内ゆすりて男女多く出つつ、是をうちておにやらひとす。鬼いとくるしめり」とあります。この鬼にさせられた人が平等寺まで逃げてきて、水を飲んでひと休みしたところを「水呑(みずのみ)」、鬼面を置いたところを「面掛岩(めんかけいし)」といいます。
 ところで、太宰府天満宮の祭事、菅原道真にまつわる「天神伝説」は説話の世界のこととすれば「雷神」が鬼として扱われているのを見ると、この追儺の「鬼すべ」の行事がひとつの意味をもってくるようです。
         (村里徳夫)