38.永岡遺跡(2)−発掘調査の成果

  永岡遺跡の発掘調査から何がわかったのでしょうか。
  考古学では、遺跡の発掘調査で得られた事象を詳細に研究し、当時の社会状況を推定し、多くの事例の積み重ねによって、それをより確かなものに復元していきます。現在ではそのために考古学のほか、その他の科学の力も合わせて研究が進められています。
  永岡遺跡では考古学の発掘調査により、二列埋葬という埋葬方法があることを確認し、整然と並ぶ成人棺からは、その墓地を造営した人々の絆(
きずな)が強かったことが想定できます。
  成人棺と小人・幼児棺が重複するものがあることが分かりました。これは成人棺に埋葬された人の性別にかかわりなく認められるものです。このことから成人棺に葬られた人と小人・幼児棺には血縁的(
けつえんてき)な関係、すなわ

ち、重複する一つの成人棺と複数の小人・幼児棺には親、祖父母、あるいは伯父、伯母といった関係が伺えます。また、甕棺墓等に使用されている土器の形の変化から、墓地の造営が短期的なものではないことも分かりました。
  土壙や溝で墓地の範囲を示すことは、生活の場と明確にその区域を区別していたことがわかり、人々の死後の世界に対する心や習わしが想定されます。
人骨からは性別、年齢構成や身体的特徴、さらには病気や傷の有無等がわかり、生活の様子が想定されます。
  永岡遺跡で発掘された人々は、当時北部九州一帯で多くみられる著しい高顔(面長)と高身長(永岡遺跡の平均身長は男性162.1cm、女性152.2cm)を特徴とするいわゆる「渡来系」弥生人の特徴を備えています。


 ▲中央下にあるのが石剣の先部分です。その上に人の腰骨があり、
そのなかを深緑色の銅剣の切先が、貫いているのが見えます。

   



▲永岡遺跡の配列

  また、外傷の一例は頭を鋭利な刃物のようなもので傷つけられた痕がみられました。傷痕の残る頭骨は治癒しかけていますが、傷は化膿し、炎症は頭蓋内に及び、これによって死に至ったと考えられています。
 顎関節の酷使(
こくし)によっておこった、いわゆる顎関節症と思われる痕が2体にみられました。
 武器の刺さった人骨からは、争いがあったことが想定されます。水稲栽培が根付き、食料の安定がもたらす人口の急増。さらに、より広い水田地の開墾を求めて土地や水等に関しての、直接、間接的な争いが、周辺の集落との間に起こっていたことが考えられ、人命を賭けて生活を守っていた人々の様子が想像できます。
 現在、遺跡の発掘調査は、考古学という一つの科学にとどまらず、人文科学、自然科学等あらゆる方面から解明が進んでいます。
 子供達が、タイムマシーンがあったら、すぐわかるのにと言うことがありますが、いずれタイムマシーンに乗らなくても、過去の歴史が明らかになることでしょう。

(濱田信也)

          ▲祭祀土壙(USS-5)