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永岡遺跡は、筑紫野市大字永岡にありました。昭和47年、昭和55年、昭和63年の3回の発掘調査が行われ、遺跡をほぼ完掘することができました。その結果、甕棺墓(かめかんぼ)を主体とする弥生時代中期の墓地だったことがわかりました。西暦でいうと、紀元0年を挟んで前後100年くらいの期間をさします。さらに、出土品から中期でも前半に当たることもわかりました。墓地は、北から南へ細長い範囲で営まれ、墓地の範囲は、全長105m、幅14mあります。この範囲の中に甕棺墓153基、木棺墓(もっかんぼ)9基、土壙墓(どこうぼ)21基が造られていました。
(1)墓の特徴
この遺跡(墓地)は、出土した甕形土器から判断して、墓地のおおむね北側から順に南側へと造られ、成人棺が東西の二列に並び、その外隣りに墓地の範囲を示す土壙(どこう)やこれを結ぶ溝が掘られています。墓域(ぼいき)を示す遺構の中には壺や甕等の土器を収め、祭祀(さいし)の場としています。このような埋葬様式を二列埋葬と呼んで
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います。
(2)遺体は何に埋葬されたか
遺体はどのようにして埋葬されたのでしょう。永岡遺跡からは、甕棺墓、木棺墓、土壙墓が発見されました。
甕棺墓は甕形の土器を使用したものです。成人には大形の甕を、小人や幼児には小形の甕を用います。成人用のものは、埋葬用として作られたもので、二つの甕の口と口を合わせ、棺としています。小人や幼児用のものは、日常生活で使っていた甕や壺を転用したものが多く、成人棺と同様に二つの甕の口と口を合わせ、棺としていますが、なかには、3個の土器を用いているものもあります。
木棺墓は大きな長方形の竪穴を掘り、この中に木の板を組み合わせて棺を作りました。この板を安定させて組み合わせるために、先人の苦労した跡が竪穴の中に残っていて、その痕跡から木の棺とわかるのです。
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