34.二日市(5)−宿場町とえびす神


日田街道の宿場町
  かつて二日市は、日田街道の宿場として栄えましたが、それを伝えるような道筋が、今も中央通り商店街に残っています。
 文化9(1812)年の太宰府旧跡全図(筑紫野市立歴史民俗資料館に複製品蔵)には、博多から南下した道が二日市に入ってすぐ曲がり、さらに進むと紫村(大字紫)の方向へL字型に曲がって山家へ向かう様子が描かれています。L字型の通りは、御茶屋(本陣)に泊まった大名などを警護するための、宿場特有のものです。
  二日市が早くから経済、交通の要所であったことは、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が九州平定後に天満宮領のうち二日市場を除外したことや、筑前領主の小早川隆影(こばやかわたかかげ)が庄屋帆足新左衛門に伝馬(伝令 、飛脚、輸送に用いる)を常備するよう命じていることからもわかります。黒田氏が筑前へ入ってからは、かつての市場として栄えた二日市は、宿場としての重要性を備えたようです。『二日市宿庄屋覚書』によると、延宝5(1677)年に御茶屋が建ち、元禄元年(1688)に初代代官の吉田七兵衛が赴任しています。
 伊能忠敬(いのうただたか)が二日市を測量したのは、文化9(1812)年9月27日で、「測量日記」には、 次のように


▲本町のえびす(ご神体)。

記されています。「庄屋太作の家に小休止、左に鎮守(ちんじゅ)若宮八幡社、右、制札前に領主の茶屋あり、左に一向宗正行寺、二日市川、石橋四間ばかり、左へ曲ると天拝山に行く道あり、二日市川渡し九間ばかり、博多街道追分(おいわけ)に出る………」

えびす石神
  福岡藩内の宿場では、両入り口に「構口」を設けるのが通例ですが、二日市宿では、その場所を示す記録が残っていません。しかし、両構口を挟んで旅篭や問屋などが立ち並んでいたと思われ、それを象徴するえびす石神が本町に祭られています。

▲本町のえびす神(下えびす)

   ▲中町のえびす神(上えびす)

 

 昭和30年代の二日市中央通り。カギ型の通りが残っている。  苑セ宰府旧跡全図に記された二日市

 

 「えびす」とは七福神のひとつで、毘沙門(びしゃもん)天・大黒(だいこく)天・弁財(べんざい)天・福禄寿・寿老人・布袋(ほてい)と並ぶ福の神です。漢字では恵比須、恵比寿、恵美須、夷、戎、蛭子などと書かれます。豊漁、豊作、または商売繁盛の神として中世以降に信仰を集めました。西宮市の戎神社が総本社で、全国一万カ所に勧請されており、信仰の厚さがうかがえます。えびす神社と同系統の神社、境内社の総計では、福岡県が全国一で、関東以北より西日本地域に多く祭られています。
  本町のえびすは、高さ2bあまりの自然石で木格子の祠(
ほこら)の中に納められており、石の表面に、大鯛を小脇に抱え、釣竿(さお)を手にした烏帽子(えぼし)姿のえびす様が彫り込まれています。傍らののぼりを立てる石には「万延2(1861)年寄進 谷太七」と刻まれています。地元の

造り酒屋であった谷家によるものです。このあたりは旧二日市の下町なので「下えびす」といい、中町には「上えびす」が祭られています。こちらは高さ1bあまりの低いやしろの中に、ふたつの自然石をご神体としたものです。やはり谷家が自らの屋敷の一角に事代主命(ことしろぬしのみこと)(大国主命の子で、えびすに同じといわれる)を祭ったことが古い記録に見えます。
  二日市えびす祭は、12月3日が縁日(
えんにち)にあたる師走の恒例行事です。昔から商店街では、えびす祭りにちなんで年末の大売り出しが催されています。

 〈参考〉筑紫野市立歴史民俗資料館編
         「ふるさと筑紫野」
       近藤典二『筑前の街道』

(村里徳夫)