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昭和62年、太宰府市教育委員会はこの遺存地割りに沿った榎寺東側の一画で発掘調査を行い、南北方向に延びる奈良時代の溝を検出した。この溝は条坊中心線から東へ19.7mの位置にあり、周辺の状況から中央大路の東の側溝と考えられた。さらに平成3年には筑紫野市教育委員会の発掘調査で、今度は西側の側溝とみられるものが検出された。場所は政庁跡南門から南へ1460m、国道3号線沿いの旧筑紫野警察署の南側である。この溝は条坊中心線から西へ16mの位置にある。この二条の溝は中心線からの距離に誤差があるが、
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これらの数値を参考にすると大宰府の中央大路(朱雀大路)の幅は約35m前後であったと推定される。この規模は平城宮の半分にすぎないが、大宰府条坊の面積が平城宮の4分の1であったことを考えると、幅の広い道路であったといえる。また現在の道路と比較しても一級国道並みの道路に相当するであろう。
〈参考文献〉
1.鏡山猛『大宰府都城の研究』
1968.6
2.大宰府市史編集委員会
『大宰府市史』考古資料編 1992.4
(石松好雄)
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