筑紫野市指定無形民俗文化財
           やま え いわ と かぐ ら
    25.山家岩戸神楽   −江戸時代からの里神楽−



▲黒田藩も神殿、神楽殿などの再建
にかかわった山家宝満宮


神楽面  素盞嗚尊(すさのおのみこと)

  江戸時代の長崎街道「筑前六宿(ちくぜんむしゅく)」の山家(市内大字山家)は『筑前国(ちくぜんのくに)続風土記(ぞくふどき)』に「東西の通路にて、宿駅なり。町あり、国君の行館あり。民家多し。又博多より二日市を経、甘木に行き、筑後豊後へ通る。南北の大道も、此宿の少西にあり。」と繁栄ぶりを伝えています。
  この町はずれにある山家宝満宮で毎年10月17日に催されるのが山家岩戸神楽です。江戸時代から筑前に伝わっている「里神楽」で、天鈿女命(
あめのうずめのみこと)が天の岩戸の前で舞いを奉納する場面があることで「岩戸神楽」と呼ばれています。昭和34年の記録だと「神供(じんぐ)」から最後の「天岩戸(あまのいわと)」までの命割(みことわり)(演目)は16番でしたが、9番を奉納していま




す。もともと神楽奉納は氏神に秋の豊作を感謝する神事で、10月1日に参道の鳥居に氏子がねりあげた大注連縄(
おおしめなわ)をたてることで秋祭りが始まります。同12日に潮井(しおい)取りなどの儀式をへて17日午前に「宮座(みやざ)」が催され、午後から神楽の奉納となります。
  明治期までの岩戸神楽は神職によって舞われる「社家(
しゃけ)神楽」でしたが、神職制度の変革にともない氏子たちが参加した神楽社が組織されて伝統の保存につとめています。平成4年現在の社員は、鶴崎弘司宮司など18人で、現在は命割18番のうち13番を奉納しています。昭和51年に筑紫野市無形民俗文化財の指定を受けています。






▲毎年10月17日の神楽奉納には、境内の参拝者が多い

▲山家岩戸神楽についての寛永年間の文書


▲荒振神

=神楽面=


天鈿女命

事代主神

山家宝満宮

  山家宝満宮は、祭神が玉依姫(たまよりひめ)、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神(おうじん)天皇で、宝満山竈門(かまど)神社をこの地に勧請(かんじょう)したものです。施主は、筑前の豪族筑紫満門(みつかど)の配下として山家庄を領有していました砥綿氏で、その時期は、同宮の棟札(むなふだ)によると永正(えいしょう)18年(1521)4月でした。
  慶安(
けいなん)、元禄(げんろく)、天明(てんめい)年間に黒田藩主たちが内殿、拝殿、神楽殿などを建立しています。現在の拝殿は弘化2(1845)年に再建されたものです。
  『筑前国続風土記附録』には、弘治年中(1555〜58)、兵火によって社殿が焼失したが、藩主黒田忠之によって再興された記録があります。
  宝満宮宮座「縁起」によると、天文年間は神官20余人で大祭が催され神

輿(みこし)、笠懸(かさがけ)(馬上から笠の的に弓矢を射る行事)とともに音楽が奏せられたことが見えますが神楽についての記録はありません。弘治(こうじ)3(1557)年ごろから神楽の古い形があり、元禄6(1693)年は神楽が奉納されていたことがわかります。
 演目18番は、神供(
じんぐ)、祝詞(のりと)、手草(たぐさ)、敷蒔(しきまき)、天神(てんじん)、両刀、榊舞(さかきまい)、御弓、高処(こうしょ)、四神、荒神(こうじん)、荒振神(あらふるかみ)、事代(ことしろ)、笹舞、問答鬼、神相撲、磯羅(いそら)、天岩戸(あまのいわと)。このうち注目されるのが「荒振神」で、「筑後国風土記逸文」にある麁猛神(あらくたけきかみ)をモデルにしたものです。“筑紫”の国号起源説話をとりいれているようです。
  出雲(
いずも)系の神楽で、翁や女、鬼の面を付けて舞う「面神楽」と、鈴や榊など持って舞う「採物(とりもの)神楽」の二種にわけられます。