国指定史跡
    14.五郎山古墳(1)−装飾の壁画

  
▲五郎山古墳石室の後室右側壁に描かれた大(上)・小(下)2隻の船(撮影:石丸 洋    
 

所 在 地
 筑紫野市(ちくしのし)大字原田(はるだ)字五郎山(ごろうやま)

発 見 年
 昭和22年(1947)3月に、盗掘孔が陥没して石室の一部が発見された。同年11月に、福岡県教育委員会が発掘調査を行った。

指定年月日
 発見直後の昭和24年(1949)7月13日付

外   形
 最高所より少し南に降った丘陵上に位置している。現状では、径約32m、高さ約5.5mと、当地方では最大級の堂々たる円墳で、2段築成。

石   室
 前・後の2室をもつ全長11m以上の横穴式で、南西に開口する。通路部分(羨道(ぜんどう))は狭くて低いが、一番奥の遺体を安置する後室(玄室(げんしつ))は長さ約4.5m、巾3m強、高さ約4mと、意外に広い空間となっている。

 




 

 
 

▲五郎丸古墳位置図(国土地理院「二日市」1:25,000)    
 

副 葬 品
 盗掘を受けており、金環(耳輪)・管(くだ)玉・勾(まが)玉、刀子(とうす)、須恵器他が採取されているにすぎない。

墓 主 像
 他の古墳と同じく、墓主の氏名は不詳。けれども、福岡平野と筑紫平野とをつなぐ地峡、筑前・筑後・肥前の三国境という要衝に位置しているので、この地域に君臨した一大豪族が葬(ほおむ)られたもの、と推定される。

年   代
 古墳時代後期(6世紀後半)とみられる。

(石山 勲)


▲五郎山古墳の副葬品。前は杯(つき)。後は■(わん)と横瓶(よこべ)。筑紫野市歴史博物館保管。